私達は忘れない
もし忘れようとする人がいたら
私達はいっそう強く思い出すだろう
忘れてしまったら私達に未来はないのだから…
「アウシュビッツ博物館の碑より」
ホロコースト教育資料センターの石岡史子さんの元にポーランドのアウシュビッツからハンナと書かれた茶色のかばんが届きました。
ハンナはチェコスロバキアに住んでいて、スケートが得意でおしゃべりが好きなユダヤ人の女の子でした。しかし、1933年にヒトラーが政権につき、ドイツ全土でユダヤ人に対する反ユダヤ主義政策がとられ、1万5千人のユダヤ人の子ども達と共にハンナはテレジン収容所に送られました。親と会えない寂しさだけでなく空腹と厳しい労働で疲れ果てた子ども達のたった一つの楽しみはひそかに絵を描くことでした。しかし、13歳の時ハンナはアウシュビッツへと送られガス室で殺されました。
今世界はナチスの時代と同等の残虐な行為と膨大な難民の問題に直面しています。現代の問題はユダヤ人虐殺のホロコーストと重なり合うように私には思われてなりません。
松井 洋子
過去に学ぶ
私が『ハンナのかばん』という劇を初めて観たのは、カナダの西のはずれにあるビクトリアという小さな町ででした。観ていて私は恥ずかしくなりました。劇の主人公は日本の子供たちなのに、それを書いた人、舞台化した人が、すべてカナダ人だったからです。そして思いました「カナダでは、こんな片田舎でも、子供たちに過去の出来事から何かを学ばせようとしている」と。
翻(ひるがえ)って、日本ではどうでしょう。過去に学ぶどころか、過去から目をそらし、かつて犯した間違いをまた繰り返しそうな気運が高まっています。私は早速、英語で書かれている戯曲『ハンナのかばん』を日本語に訳しました。児童劇と言えば、お姫様に王子様、妖精に魔法使いというのが通り相場の日本。そんな日本の子供たちに是非この劇を観てもらい、過去から何かを学ぶことの大切さを知ってもらいたいと思ったからです。
吉原 豊司
「ハンナのかばん」と出会って17年。
これまで全国1,000以上の学校を訪ねて、子どもたちとともに、人間の差別や偏見について考えてきました。ハンナという一人の少女の悲しみや希望、家族への思い、精一杯生きた姿に、思いをめぐらせることができたら・・・その同じ想像力で、あのとき日本軍占領下の南京で殺された子の姿にも思いを広げたい。すぐそばで今、ヘイトスピーチで傷ついている子の悲しみにも寄り添いたい。ハンナの兄ジョージ・ブレイディさんの90歳の誕生日を前にして、私はそんな思いを強くしています。すべての人の命と人権を大切にする社会をつくるために私たちは何ができるのか。答えはすぐに見つからないかもしれません。でも、答えを見つけるより大切なことがある、とホロコーストから生きのびた人が言います。それは、答えを探しつづけること。からころの作品を通して、皆さんはどんな想像を広げてみますか。
石岡 史子
NPO法人ホロコースト教育資料センター代表