KarakoroStage 2006
アルカイック・ラブ — 最古の愛 —
"食われない"ための舞台
松井洋子
人類の長い歴史の中で、権力者は多かれ少なかれ民衆を"食って"国を維持してきました。王の号令のもとに戦争をし、戦地で死ねば"英雄"として王によって名誉が与えられました。小泉首相の参拝が、日本がかつて侵略したアジアの近隣諸国から大きな非難が寄せられている"靖国神社"は、戦死をとげた人々に王が与えた名誉のシンボルといえます。権力側は、人々が自らの命を喜んで食われるような仕組みを巧みに作り上げます。
しかし、敗戦後の日本では、権力の座にある者がその力を乱用することができないような憲法が作られました。憲法とは本来、権力者が勝手気ままなことができないように見張り、規制をかけ、権力者を国民のために働かせるために存在します。しかし今、「敗戦時に外国から与えられたお仕着せだ」という理由で日本国憲法が変えられようとしています。すべての国民が健康で文化的な生活を営む権利をもち、法のもとに平等が保障される"基本的人権"、世界の平和を願って武力を放棄する"不戦の誓い"をもつ私たちの憲法は、戦後60年間、日本が戦争を仕掛けたり、巻き込まれることなく過ごしてくることができ、権力者に食われることから私たちを守ってくれた素晴らしい内容です。
そんな憲法についてほとんど何も知らなかったからだとこころの出会いの会──からころ──の十代、二十代の若い女たちが憲法の勉強を始めました。恒久的な武力の放棄、法のもとの平等とともに、彼女たちに深いインパクトを与えたのは第24条に明記された「家庭生活における個人の尊厳と両性の平等」でした。「国や男社会から食われない」ために憲法が自分たちを守ってくれていることに気がついたのです。そして与えられる価値観や情報を鵜呑みにして受動的に生きるのではなく、自分から何かを主張し、表現し、主体的に生きる権利があることに目覚めたのです。
舞台を作っていく営みを通して、女たちのなかに「自分たちの住んでいる世界のことを、自分たちで勉強して知っていこう」という流れが生まれてきました。そんな女たちの動きに刺激を受け、からころの男たちも体や心に染み込んだ「男らしくあらねばならぬ」という家父長的な"縛り"を問い直してほしいと思います。世界のあちこちにキナ臭い戦争の気配が渦巻くなか、男たちが権力に食われて戦争に赴くことがないように──。