折り鶴に込めた平和への願い
アメリカやカナダの子供たちの間で一番有名な日本人って誰だか、みなさんご存知でしょうか。そう、イチロー・スズキです。最近はショーヘイ・オオタニに激しく追い上げられていますが ……
でも、この二人に負けず劣らず有名なのがサダコ・ササキです。時代がちょっと遡りますが、2才のときに広島で被爆し、しばらくは元気だったのに12歳になって白血病を発症。折り鶴を千羽つくれば病気は治ると聞き、病床で鶴を折り続けたあのサダコちゃんです。
そんなサダコちゃんの短かった生涯については、教科書に載っていたり、副読本として広く読まれていたり、また公園に行けば銅像があったりで、カナダやアメリカの子供たちも良く知っています。もしかしたら日本の子供たち以上に詳しく知っているかもしれません。
今度みなさんにご覧いただく『千羽鶴』は、そんなサダコちゃんの話を聞いて核戦争が恐くなり、地下室に閉じこもって出てこなくなってしまったカナダの少年・バディー君の物語です。
と聞くと、暗く重苦しい舞台を想像されるかもしれませんが、心配ご無用。歌あり、踊りあり、それでいて含蓄深いメッセージもある、楽しい音楽劇です。
皆様お揃いでお越しください。
吉原 豊司
世界は「核兵器のない平和」にはほど遠い情勢に直面しています
1945年8月9日、広島市に次ぐ第二の原子爆弾が長崎に投下され、私は当時9歳で爆心地から4.1キロの場所の屋内で被爆しました。
当日、暗い共同防空壕に原爆で被爆した全身火傷の人々が次から次へと押し寄せてきました。なんとも言えない悲壮な悲鳴の中で、ひたすら、体の震えを堪え続けていた記憶を、未だに消す事が出来ていません。
昨年、11月に一般社団法人からだとこころの出会いの会 通称“からころ”で広島被爆者をテーマの舞台を演出する参考として、被爆体験談の要請を受け講演いたしました。
からころメンバーの皆さんの平和に向う姿に、私たちの伝承活動の責任の重さを感じ、身の引き締まる思いがしました。そして、私たちの伝承活動を重ねることで「核兵器廃絶と世界平和への願い」が多くの人々への理解が進んでいく事を強く感じました。
今世紀、世界で唯一の被爆国である我々が、痛ましい歴史を顧み、「世界平和を発信する責務」を世界に向けて、時間を惜しまず、あらゆる方法で果たしていかなければなりません。
からころの舞台がその一つになることを祈っています。
高橋 正彦
豊中市原爆被害者の会 会長
相手の立場を理解し、話し合うことを!!
1945年8月6日広島に原子爆弾が投下され、その年の12月末までに推計十四万人もの人々の生命が犠牲となりました。
上空で炸裂した原子爆弾から放たれた超高密度の放射能、二千度を越え一瞬にして肉体を焼き溶かす熱、強風。川面には死体。道には全身に火傷をおった人の頭や身体から止めどなく滴り落ちる血。殆んど声もなく着衣ボロボロでゾンビ化した人達が必死で逃げまどう間をぬって、傷を負う父、母、兄と共に十歳の私は特設診療所へと急ぎました。
このことは紛れもなく事実ではありますが、そこには国際的に深刻な因果関係が存在したこともまた事実です。当時日本は軍国主義をエスカレートさせ他国に攻め入り領土を広げていきました。それに危惧を抱いた国際社会が一斉に反発し経済封鎖を強行するに至ります。
これを不服とする日本は1941年12月、ハワイオアフ島に停泊中の米国の主力艦船を攻撃しました。この事が引金となり大東亜戦争が勃発し、落とされたのがあの忌まわしい原子爆弾でした。
二度と核による被爆者を作らないため、私は切に望みます。
世界中の人々が相手の立場を理解し、話し合うことを!!
有田 卓司
豊中市原爆被害者の会 副会長